交野ヶ原の七夕は、
今、ルネッサンスの最中にあるのです。
今年の交野ヶ原の新暦の七夕は記録的な大雨の影響のため、イベントの中止などが相次いでおります。
【お知らせ】
明日開催予定の『みやのさか七夕市』ですが主催者側より中止が発表されました。
七夕本番で一番盛り上がっていきたかったイベントでしたのでとても残念です交野星子の次回のステージは8月下旬の枚方まつりかと思います。
詳細わかりましたら、お知らせ致しますのでよろしくお願いします— 交野 星子♪ (@shoko_katano) 2018年7月6日
そんな中、6日の開催は中止したものの、7日の開催を、6日の夜の時点で公表されている神社がございます。
明日は機物神社の七夕まつり開催予定とのことですが、まだ雨が降り続いています
皆様十分に気をつけてお過ごしください。#交野市#大阪#七夕#七夕伝説 pic.twitter.com/zCE7CHKNtE— 交野 星子♪ (@shoko_katano) 2018年7月6日
交野星子さんのtwitter、細かく更新されてて本当、ありがたいです。
ここで、どうして、機物神社が七夕祭を開催することを取り上げたかというと、そもそも、機物神社の七夕祭の復活こそが、交野ヶ原の七夕ルネッサンスの始まりだったのです。
復活した機物神社の七夕祭
天の川七夕星まつりの会が2000年初頭に発刊した「交野ヶ原と七夕伝説」の中で、機物神社宮司の中村武三さんが「機物神社の由来と七夕まつり復活について」という文章を寄稿されています。
その一部を少し長いですが、引用いたします。
当神社のご祭神(天棚機比売大神他)からもわかるように、古文書には七月七日は例祭となっています。それで氏子のみなさまのご了解を得て、永らく兼務宮司として務めてくださった故三島健男先生に進言して五人の総代が発起人となり、また交野市古文化財理事の奥野平次様のご協力により、昭和五十四年七月六日「宵宮」、七日「本宮」と定め、例祭としての祭礼としての行事を復活いたしました。
今では、大阪を代表する七夕祭の一つに数えられる機物神社も、来年でちょうど40年という節目を迎える、「古くて新しい」祭りなのでございます。
交野市が「織姫の里」を名乗るのも、おそらく、機物神社の七夕まつりの復活が間違いなく起因していると言えるでしょう。
七夕伝説とのゆかりは少なくとも平安時代にまで遡れる交野ヶ原ではありますが、その七夕文化を現代に復活させた機物神社のお祭りは間違いなく、七夕ルネッサンスの幕開けだったと言えそうです。
もちろん、その動きは交野市だけでなく、交野ヶ原である枚方市にも波及していくわけです。
そこからの論は、次章に譲るとしましょう。