七夕ルネッサンス序論では、交野ヶ原にとって七夕まつりというのは、「古くて新しい祭り」だとお話ししました。
上の記事では、1979年に機物神社が古文書で例祭となっている7月7日の本宮を復活させたことを紹介し、その年を「七夕ルネッサンス元年」といたしました。
そこから、星田妙見宮での七夕まつりを佐々木宮司を中心の総代の方々が復活させるなど、行政区域としての「交野市」を中心にして、天の川水系の七夕ルネッサンスは進んでいきました。
では、天の川水系で交野の下流に当たる枚方市での動きはどうだったでしょうか?
機物神社の七夕まつりから10年後に起こったムーブメント
序論でも引用した、天の川七夕星まつりの会発行の「交野ヶ原と七夕伝説」で、同会会長の平林和典さんの「刊行のことば」に興味深い文章がございましたので、長文となりますが、引用させていただきます。
思えば今を去る十年以上前の一九八九年九月九日の夜、枚方市の誇る国の特別史跡「百済寺跡」において私のシナリオによるミュージカル・ファンタジー歴史劇「百済寺幻想」を私が中心となって企画上演したことが天の川七夕伝説と関わる奇しき縁となりました。劇中、地元の古老が幼稚園の園児に天の川の七夕伝説を語るワンシーンが演じられた時、境内を埋めた約四〇〇〇人もの観客にどよめきが興り、当地に天の川の七夕伝説があることを初めて知った驚きの声があがったのでした。その時一瞬私の体に電光が走り、「天の川の七夕伝説」をもっと広く知らさなくてはという天の啓示に似た想いがかけめぐったことを今でもはっきりと思い出されます。
これの出来事が、天の川七夕星まつりの会結成の直接的きっかけであり、以降、今日まで地域に根ざした活動を続けておられます。
奇しくも、1989年というのは、昭和天皇が崩御され、平成の元号が始まった年でもありました。ここから、枚方市においても、宮之阪商店街での七夕まつりが始まり、「七夕のまち・枚方」というキーワードが市民に根ざしていく動きが始まって行ったわけです。
平成の交野ヶ原の七夕はどうだったのか。
新暦の七夕まとめの記事をあげましたが、交野ヶ原において、様々なイベントが開催された(される予定)でございました。
これ以外にも、日付は違っても、七夕やおりひめ、ひこぼしという言葉を冠したイベントが行われます。
おそらく、天の川水系において、「七夕」というのは、根付いてきているのかと思います。
その現状において、2019年は機所となる七夕ルネッサンスの機所となる年であり、新しい元号を迎える年でもあります。
1979・1989・2019、七夕ルネッサンスの次のステージは?
機物神社から40年、天の川七夕星まつりの会の結成から30年、2019年は七夕ルネッサンスの一つの機所となる年になると確信しております。
では、七夕ルネッサンスはどこから起こるのか。正確なことは申し上げられませんが、私たちのプロジェクトが「天空の地上絵」というキーワードを意識して、「交野ヶ原の七夕」をどう再解釈するか。
Qの段ではその辺りを描いていきたいと思います。