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【過渡期ッチャン】令和と稀代のイノベーター、大伴家持の七夕歌

みなさま、珍しく記事を続けてあげてまいります。

実は今、色々と動いているのですが、まだ公表時期を迎えていないことばかりで、ライムスターのmummy-dの言葉を借りれば

過渡期っちゃん

という時期でございます。

かといって、一定のクォリティを保つことを求められていると勝手に思っておりますので、時事ネタも絡めた内容をお送りすることもありかなと思っております。

さて、平成も残すところ、あと12日ほどということで、新元号、「令和」の話題も随所で聞こえてきております。

ちなみに、日本で初めて元号が使われたのは、「大化」でございまして、およそ今から1400年ほど前のこと。そこから、様々な元号が使われていきましたが、平成まで全て、中国大陸で古くから残る古典からつけられてきました。

元号がどうして、中国大陸の古典からつけられてきたかはこの記事が詳しいので、どうぞご覧ください。

 

令和を掲げる菅官房長官

中国の反応

長い歴史の中で、初めて国書から選ばれたということで、色々と面白い言説が飛び交っています。

少し本題から逸れますが、日経ビジネスの記事を少し引用します。

元号も既に中国からは消えてしまった文化の一つだ。日本でも元号と西暦を併用することについては様々な意見がある。だが中国の人には、古典を引き、過去の文化を継承しながら時代を区切る元号に、ある種の憧れがあるのかもしれない。

遡れば、元号という文化自体、今から1400年ほど前、当時の世界的帝国だった唐から取り入れられ、「大化」とつけられたのがその初めでした。つまり、元号という文化制度が残っている事実そのものが、日本が他国の文化を取り入れ、自らのものにしていった軌跡の表れでもあるわけです。

令和と大伴家持

令和の出典元となった

初春の令月にして、気淑く風和ぎ

という和歌ですが、大伴旅人が太宰府において開いた宴席の中から生まれたといわれております。

その大伴旅人の息子が、かの有名な大伴家持というわけです。

大伴家持は歌人としても有名ですが、征夷大将軍に任命されたこともあり、そもそも大伴家自体が、武官としても譽れの高い一族でした。

その大伴家持ですが、下記のような論文が出ております。

大伴家持七夕歌の特質

ここに面白い記述がありました。

七夕歌に新風と呼ぶべき特徴を吹き込 んだのは、家持である 。和歌の表現で漢詩を切薩して大き な展開を見せるのは、家持の七夕歌である 。

七夕歌を和風に近づけた家持の孤独

上記で取り上げた論文では、七夕伝説というのは、中国大陸より渡来人によってもたらされた伝承であり、導入当初は渡来文化として取り上げれており、国風ではなかったとされています。

その七夕伝説を漢詩の技術などを取り入れ、日本風の和歌としてブラッシュアップしていったのが大伴家持という主張をしています。

その根源的動機は、七夕伝説に妻と死に別れた自らの境遇を重ねたことと論を展開しています。

独り居て積極的に漢詩的な表現 を加えて、七夕伝説に対する共感と亡妻の追憶に結びつく 秋思を主題とする新しい独居述懐七夕歌を試みたのが家持である。

興味深いことに、大伴家持の父親と同世代の山上憶良は宴席で七夕歌をうったっていたにもかかわらず、大伴家持は独りで七夕歌、十三首を詠んでいたとのことです。

これはあくまで推測ですが、七夕伝説がそれほど浸透していない中、自分の境遇とかぶらせて詠んだところで、共感を呼ぶのは難しい。

それであれば、あえて実験的な手法をとって、亡き妻と自分との思いが通じるような環境で歌を歌ったのではないか。

イノベーターは常に孤独

少し話題は変わりますが、新しい価値を創造するイノベーターは古今東西、いつでも孤独なものです。

たとえば、アインシュタインはこう語ります。

アインシュタイン

“Great spirits have always encountered violent opposition from mediocre minds.”
「偉大な人間は常に、凡人たちの激しい反発に遭遇してきている」

ココ・シャネルはこう語ります。

“Those who create are rare; those who cannot are numerous. Therefore, the latter are stronger.”
「創造する人は少ない。創造できない人は山ほどいる。それゆえ、後者が強いのである」」

大伴家持も歌人として、日本らしい和歌の中に漢詩の技術や渡来文化を取り込むイノベーションをトライする中で、孤独を感じていたのかもしれません。

イノベーター”大伴家持”の七夕歌が妙見宮に

そんな、稀代のイノベーター、大伴家持の七夕歌

星田妙見宮にある大伴家持の歌碑

織女し 船乗りすらし まそ鏡 清き月夜に雲立ち渡る

妙見宮や交野ヶ原で読まれたわけではないのですが、渡来文化としての七夕伝説を日本の和歌に落とし込んだ、稀代のイノベーター大伴家持のセンスに触れるという意味でも、このゴールデンウィーク、妙見宮にいらしてみてくださいまし!

 

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