少し気になるニュースが飛び込んできました。
京都の有名神社の山にメガソーラー計画 市の対応後手「あっという間に丸裸の山に」
「京都じゃないか!」ということなかれ、男山は江戸時代には歌川広重の浮世絵で、「河内 枚方男山」と紹介されていた縁もございます。
歌川広重の絵はサンプリング作品
左の絵は、歌川広重が「六十余州名所図会 河内 枚方男山」として江戸時代に書き残したものです。
ただこれ、歌川広重は淵上旭江の「日本勝地山水奇観」という絵をみて書いた、サンプリング作品らしいんです。
山水奇観の方は水墨画で、歌川広重はその構図を活かしながら色を付けた感じ。
エアロスミスの曲に、RUNDMCが新しい文化を吹き込んだようなイメージですかね。
「男山は八幡ではないかい?」という言葉も聞こえてきそうですが、「枚方から見た男山」ということで、河内枚方の名所という扱いになったのやもしれません。
風景はどこ・誰のものか?
昨今の訪日外国人の増加傾向もあり観光業界が非常に盛り上がっております。各地域は、それぞれの持ち味を生かして、観光資源の掘り起こしや磨き上げなどに力を上げています。
その中でも、風景というのは大きな観光資源の一つとされています。
神社であるとか、公園であるとか、管理者がはっきりしている場所の風景は維持管理されている方も明確ですが、山や夜景などの場合、その風景と風景が見える場所の管理者は異なる場合がよくあります。
例えば、私の好きな河内の夜景の一つ、東大阪市役所展望台からの夜景。
この夜景の維持管理に、東大阪市役所は直接的には関わっていないわけですが、この夜景が見える名所として、この東大阪市役所の展望台は紹介されるわけです。
そう考えると、風景というのは維持管理している人物や団体と、それによって恩恵を受けている人物や団体が必ずしもイコールとは限らないわけです。
交野ヶ原から見た男山
実は男山というのは、交野ヶ原とも関係がございます。
まずは、楠木正成の息子で、南北朝時代を戦い抜いた楠木正儀。以前、記事にもさせていただきました。
楠木正成は石清水八幡宮に戦勝祈念奉納として、楠の木を千本植えたと伝わっており、現存する楠の木は京都府指定の天然記念物となっています。
その縁もあってか、楠木正儀は京都に攻め入る際、後村上天皇を石清水八幡宮に鎮座していただいたということです。
ちなみに、楠木正儀の過去帳を保存していた、久親恩寺もこの男山の麓にございます。
加えて、同じく男山の麓にある、交野天神社の裏手には、継体天皇が即位したと伝えられる場所がございます。
その後は、山城国の筒木宮、弟訓宮と宮を移動させますが、不思議と男山を中心に円を描くように動いています。
そう考えると、男山は交野ヶ原文化圏ではないかとも思ってしまうわけです。楠葉台場も交野ヶ原の北端にありながら、橋本や伏見と歴史上に縁のある土地でした。
「交野ヶ原から見た男山」というキーワードでストーリーが繋がっていくと、また一つの名所や観光資源を紡ぎだすことができるかもしれません。