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交野ヶ原ミステリー:VOL.1 〜交野ヶ原は君と僕との間に生きている!〜

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Vol.1. 交野ヶ原は君と僕との間に生きている!

現在の枚方市・交野市にお住いの方であれば、一度は交野ヶ原という言葉を目や耳にしたことがあるのではないでしょうか。
実際、両市のオフィシャルな市の紹介のページにも、「交野ヶ原」や「交野が原」と言った記載がございます。

枚方市のHPでは「かつて枚方市を含む地域が『交野ヶ原』と言われ」と表記され、交野市のHPでは、「平安時代には、宮廷人たちが交野が原を訪れ」と表記されています。

しかし、不思議なことに、「交野ヶ原という言葉は『日本書紀』の~~に」とか「○○さんの和歌に『交野ヶ原』と呼ばれ~~」といったような、文献に沿った解説が市の公式ホームページには見当たりません。

そこで、ジムさん、不思議になって調べてみました。インターネットだけでなく、枚方市の中央図書館の5階にもこもって、地域歴史誌の『まんだ』なども調べてみました。
しかし、「交野ヶ原とよばれており」という表記ばかりで、文献の注釈が見当たりません。

そこで、少し想像を巡らせてみます。

(想像①)「交野ヶ原」という言葉は、いつの頃からか、人々が使い始めた話し言葉である。
(想像②)枚方市とか渋谷区のように、線を引かれて「ここ」と決めるものではなく、人と人との間に生きている地名である。

こんな想像から、こんな言葉を言ってみたくなります。
「交野ヶ原は君と私が、『交野ヶ原』と語り合うたびによみがえる!」

それであれば、私たちは、交野ヶ原を語り続けることも大事な役割かと思います!

今後は、皆さんで交野ヶ原を語り合う場や機関誌なども発行していきたいと思いますが、まずは、ここに旗を立てていきます!

Vol.2では、枚方・交野を現在繋いでいる、「七夕伝説」と交野ヶ原の関係を紡ごうと思います。

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テーマの著者 Anders Norén