TSUTAYAで育った僕のカルチャー
私が交野ヶ原に引っ越してきたのは、10歳の時でした。
まだ、三越百貨店と近鉄百貨店、長崎屋が健在だった京阪枚方市駅までは、午後8時には眠る町だと感じていました。
そんな中、不夜城のごとく、夜の11時まで煌々とネオンを照らしていたのが、ご存じのTSUTAYA。エル枚方内の1階がセル、2階がレンタルと分けられていたレンタルビデオ屋は私の10代の1ページを彩っています。 ただただ、CDをレンタルするだけと思うことなかれ。
今でこそ、店頭の手書きPOPでのコミュニケーションは当たり前のツールとなっていますが、私が10代だった90年代後半からゼロ年代初頭は効果的な販促ツールとして光を浴びだした頃です。
例えを上げましょう。中学3年生の時、オシャレな曲がないものかと思い、ツタブラをしていると、POPに「枚方出身アーティストがあの名曲をカバー」と書かれていました。すぐにCDを取り、試聴機へ向かうと、流れてきたサウンドは当時の打ち込み主体でタイトルは「真夜中のドア~Stay with me~」で、
原曲を知らなかった私も即座にレンタルレジへと向かいました。アーティスト名は市川藍さん。ググってみると、何度かFMひらかたへの出演歴もあるようです。
逆にこういう出会いもありました。高校1年の秋、色々あって自宅でボケっと見ていたテレビ番組がある女性のことを取り上げていました。天才ジャズピアニストと言われる彼女は留学してボストンの音楽大学に通いながら深夜バスでニューヨークに移動し、ライブハウスでの演奏でスキルを磨いていました。エキセントリックな演奏はもちろん、海の向こうでタフに自分の腕を磨いている彼女に驚きました。
そこで、とりあえず、名前だけ「上原ひろみ」という名前だけを憶えておきました。 その翌日、ちょうど中間テスト前で早く帰れたので、ツタブラをすると、まだエル枚方の1階にあったセルコーナーのアイランドにこのようなPOPがありました。「情熱大陸で取り上げられていたジャズピアニストの上原ひろみさん。エキセントリックなピアノは必聴!」そして、横にはきちんと試聴機も用意されていました。
上原ひろみのXYZを聴きながら、「このPOP作った店員さん、昨日の情熱大陸見てたんだなぁ」と思ったりしたものです。 多感な10代、着うたやiTUNESが本格的に導入される時代の夜明け前に無尽蔵のCDとビデオを誇ったTSUTAYAが近くにあったことは私のカルチャーを形成する上で大きな影響を受けました。 それは、ただ、CDがあったということももちろんですが、そこにスタッフさんがいて、私のような利用客との言葉なきコミュニケーションがあったことも大きいと思います。皆さんも、今週末は久しぶりにツタブラいかがでしょうか?