交野ヶ原は、大阪の河内の国の北に位置します。
地元の人は「北河内」といわれるとピンと来るかもしれないが、枚方・交野に住む人々に、「枚方や交野は河内なんですよ」と言ってもピンと来ない人は多いかもしれません。
ちなみに、河内のイメージを全国的に広めた作品といえば、今東光先生の「悪名」でございましょう。
今東光の代表作の一つで週刊朝日に連載された作品。 河内生まれの度胸と男気がある主人公朝吉が故郷を10代で飛び出して小さいながらも親分として一家をなすまでが描かれている。時代は徴兵制があるので大正から昭和初期ではないかと思うが、遊郭に生きる女や裏社会の男たちの生態が実に生き生きと描かれており興味深い。
映画版で、朝吉を演じたのは勝新太郎さんでした。そういった、破格の任侠ものが一躍「河内」を全国区にしたために、「河内=任侠」といったイメージを抱いたのも無理はございません。
河内論に関しては、ここまでにしておきまして、河内というのは、そもそも、物部の土地でございました。物部というつながりでみると、実は交野ヶ原は物部の最上流に位置する土地柄でございます。
その最も代表的な例が、磐船神社に鎮座する、天の磐船(あまのいわふね)であります。 船という名前からカンのいい人はピンと来ると思います。。。
これは、天から神様が乗ってきた船なのです。 その神様の名前は、ニギハヤヒノミコト(以下、ニギハヤヒと称する)。 ニギハヤヒは現在の天皇家のご先祖様であるニニギノミコトよりも先に、天(高天原・・・日本神話に登場する神々のクニ)から降った神様であります。
古事記や日本書紀によれば、そのニギハヤヒにわざわざ九州から会いに来たのが今の、天皇家のご先祖であるというのです。
まさに、神話の世界、神々の遊び(わかる方はあらびき団世代ですね笑)の世界に入ってくるわけです。
ニギハヤヒを祖神様として、河内の一時代を切り開いた、物部氏。そのニギハヤヒが天から降ってきた際の磐船が残る磐船神社はまさに、物部氏の心のふるさとであります。
つまり、物部氏は、本来天皇家と並ぶことができるほどの神話や由緒を持っていた。その物部氏の最盛を築いた物部守屋は現在の八尾市で敗北しましたが、その物部氏が始めて地上に降り立ったのは、この交野ヶ原の磐船神社でございました。
現実か否かを証明するには難しい話ですが、もし、現実であったとすれば、どうして、ここをニギハヤヒは選んで降りてきたのか。それはまた、天空の地上絵ミステリーとして、皆様の心に留めていただいておきましょう。
ちなみに、磐船神社の磐座めぐりは厳かな雰囲気でございます。かなりなかなかスリリングですよ。
パワースポットとして有名で、関西ウォーカーにも取り上げられていたりします。
神話の巨石があるパワースポット!「磐船神社」で岩窟を潜る修行体験
お正月も近いので、一度いらしてみてはいかがでしょうか???
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