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SPECホルダー同士の戦い=「相撲」で生まれた片埜神社〜河内の物部ユニバース〜

2010年、TBS系列で放送された、堤幸彦監督のドラマ「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」をみなさま、覚えていますでしょうか?

spec 当麻 瀬文 交野ヶ原

元々は、1999年に放送された「ケイゾク」の世界観の延長にあるドラマでしたが、特殊能力いわゆる「SPEC」を持ったSPECホルダーを中心に物語は進んでいきました。

「交野ヶ原と何の関係があるんだ?」と怒られそうですが、いや、ちゃんとあるんです。

戸田恵梨香演じる、主人公の名前が「当麻沙綾」といいます。

この名前、ピンときたんです。

交野ヶ原の一宮、片埜神社の縁起を少し引用してみましょう。

第11代垂仁天皇の頃、出雲の豪族の野見宿禰(のみのすくね)が、当麻蹴速(たいまのけはや)との相撲に勝った恩賞としてこの地を拝領し、建速須佐之男命を祀ったのがはじまりといわれる。

片埜神社 野見宿禰 当麻蹴速

おぉ、これは!

SPECの主人公と同じ名前の神様がいたんじゃないか!と喜び勇んでいるわけでございます。

ただ、この野見宿禰と当麻蹴速の伝承も面白いです。奈良県葛城市のホームページより少々引用しましょう。

相撲の起源として、「野見宿禰」(のみのすくね)と「當麻蹶速」(たいまのけはや)の天覧相撲が日本書紀に書かれています。大和の国當麻の邑に「當麻蹶速」という人物がいました。蹶速は手で角をへし折るほどの怪力の持ち主で、常日頃から「この世で自分と互角に力比べができるものはいない、もしいればその人物と対戦したいものだ」と豪語していました。天皇はその話を聞き、家臣に「當麻蹶速と互角に戦えるものはいないのか?」と尋ねたところ、家来の一人が「出雲の国に野見宿禰なる人物がいます。この人物を呼び寄せ蹶速と戦わせてはいかがでしょうか?」と進言しました。天皇は大いに賛成し、垂仁天皇7年7月7日に「野見宿禰」と「當麻蹶速」の対戦が行われました。お互いに足を上げて蹴りあい、長い戦いの末、けはやはこの試合で命を落としてしまいました。この「宿禰」と「蹶速」の力比べが国技相撲の発祥とされ、また、我が国初の天覧相撲といわれております。
毎年7月に「當麻蹶速」の顕彰する「けはや法要」(葛城市観光協会主催)が営まれます。

当麻蹴速は「俺より強い奴はいないのか!」といった無双状態。それを見かねた時の帝が、出雲より猛者を呼び寄せて、試合をさせたと言います。

7日間も続く戦い、熾烈だったんでしょうね。最後は当麻蹴速が腰の骨を折られ、命を絶ったそうですが、日本歴史上、初めての天覧試合であり、相撲の起源と言われています。

この戦いの恩賞として、野見宿禰が与えられたのが、この河内の国であり、その祖廟として選ばれたのが、片埜神社だったということです。

しかも、七夕決戦ですよね。いうまでもなく、交野ヶ原は七夕がある由縁もあるのは下記の通り。。。

映画「くらわんか」で思い出した七夕伝説の3人目の登場人物

しかし、どうして、野見宿禰は河内の国を恩賞として賜ったのでしょうか。もしかすると、この土地は、物部の土地だったと仮定するのならば、当麻蹴速は物部だったともいえるのでは???

と思って調べると、当麻蹴速の土地だった現在の奈良県葛城氏には

棚機神社があります。

http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,10440,53,214,html

これってもしかすると、本当に当麻蹴速と物部氏は同じ部族だったのではないか。

ともあれ、野見宿禰の祖廟である片埜神社の今年の福娘も決まったようです。

牧野が今あつい!かもしれません笑

 

 

 

 

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