第1問:枚方市の花はなんでしょうか?
第2問:交野市の木はなんでしょうか?
あれ、枚方市も交野市も桜を市の植物に日程している。
これは単なる偶然でしょうか?
いや、これは偶然ではないのです。
まず、枚方市が市の花として、桜を選んだ理由を引用してみましょう。
桜は、交野ヶ原(枚方・交野)が古来桜の名所として平安貴族の交遊の舞台であったことや、桜の名所であった渚院(現渚元町)で桜の歌が数多く詠まれるなど、本市にとって歴史的にも関わりが深いものがありました。
また、枚方八景に牧野の桜があるように、本市にとってとてもゆかりの深い花となっています。
最近では、市民団体による植樹や桜まつりが盛んに行われるなど桜の名所づくりが進んでいます。
平成19(2007)年に、市制施行60周年を記念して枚方市と歴史的なゆかりが深い花として、桜を「市の花」として追加制定しました。(枚方市ホームページより)
どうやら、古い時代から(枚方・交野が交野ヶ原だった頃)から、桜の名所として有名だったとのこと。
交野市は、もう少し、短くそして核心を説明してくれています。
昭和47年2月25日制定
交野は古くからさくらの名所で「太平記」に「落花の雪にふみ迷う片野の春の桜がり・・・」からさくらを選びました。
(交野市ホームページより)
おや、ここで、「太平記」という言葉が出てまいりました。河内の”悪党”、楠木正成の活躍を描いたともいえる、戦記物。
さて、この「片野の桜」という言葉ですが、いわゆる「サンプリング」というやつです。
元ネタがあって、そのネタを引用して、自分の文章や言葉を飾り付けていく。この太平記の言葉にも元ネタがございます。
「またや見ん かたのの御野(みの)の桜狩(さくらがり) 花の雪散る春の明けぼの」
藤原竣成
この和歌は枚方市の宮之阪に歌碑もあります。
ちなみに、この藤原竣成は新古今和歌集を編纂した、藤原定家の父親でもあり、多くの歌人を育てました。
新古今は、英語で言えば、「NEW-CLASIC」もしくは「NEW-SCHOOL」といったところでしょうか。
新古今和歌集の方針は、「万葉集と古今和歌集に選べれているものとは違った歌を選んでいく」といったものだったそうです。
なるほど、そうすると、和歌とは違った文脈、そして、古今和歌集が編纂されて以降に生まれた様々な作品や文化を映し出した「新古今」を作り出そうとしたのでしょう。
そこの時代考証「交野の桜はどこから?」は次回へと続いてまいります!