交野ヶ原 日本遺産 BLOG

もし、磐船のトンネルが開通していたら、おけいはんなだったのか?

さて、過渡期っちゃんということで、しばらく続けております、新シリーズと言いますが、記事連発と言いますか。

今回のシリーズは、誰もが一度は「あの時、もしこうだったら」というのを考えたことはあるでしょう。

それを繰り返しすぎると、ビューティフルドリーマーとか
トムクルーズ主演の「オールユーニードイズキル」とか

ハルヒのエンドレスエイトとか

途中で「勘弁してくれ!」というような展開になり、結局、歴史を繰り返すことに人間は耐えられないのですが。。。

しかし、人間は繰り返すことができないからこそ、「あの時あぁだったらなぁ」と思うわけでございます。

そこで、今回は「ifシリーズ」でございます。

今回のifは「もし、京阪交野線が私市をこえて、奈良の王寺まで繋がっていたら」です。

歴史のIFをシュミレーションした兵がいた。

枚方つーしんさんの記事にもありますが、もともと、現在の京阪交野線は、信貴生駒鉄道が引いたものとのこと。

狙いとしては、枚方市から磐船山を超えて、交野市と王寺までがつながるようにすることが狙いだったようです。

面白いことに、戦前の日本全国の幻となった路線がすべて通っていたらという仮説をシュミレーションした方がいらっしゃいました。

もしも戦前の鉄道敷設計画がすべて実現していたら? 緻密に再現した地図の制作者に話を聞いた

 

この作者さんのtwitterに日本全国の地図が載っておりました。

 

その、近畿と中部の地図を引用させていただきました。

枚方市から生駒・王寺まで直通って。

皆様で拡大してみていただきたいのですが、この路線がもし、今日まで残っていたら、枚方市から私市に伸びる交野線は、大阪の終点ではなく、奈良への玄関口となっていた可能性が非常に高いです。

奈良の観光客宿泊地になっていたかもしれない、枚方・交野

また、別の方が、近鉄沿線が未成線を実現していたらという、架空の路線図を作成されています。

この地図みれば、枚方市駅から奈良直通も。

夢の膨らむ、路線図ですよ。

枚方市駅視点で見ると、私市を超えて、生駒で近鉄大阪線と合流します。

相互乗り入れの電車で作れば、枚方市→私市→生駒→西大寺→奈良といった特急が走っていたとしたら、奈良の観光客を交野ヶ原に誘えていたかもしれませんね。

昔から、奈良はホテルが少なく、日帰りで楽しみ、宿は京都や大阪に取るというコースが主になっています。

それが、奈良から直通で行ける枚方市や交野市が宿泊地としての候補になっていたかもしれません。

ベットタウンであり、駅周辺は修学旅行生や長期滞在型の宿泊客用のホテルなどが多い、観光地になっていたかもしれません。

こんな路線が断念した理由は、磐船山が硬かったから

こんな現在の実現を阻んだのは、諸説ありますが、当時の掘削技術で磐船の山にトンネルを開通させることができなかったからと聞いています。

禍福は糾える縄のごとし。きっと、そこに電車が通らなかったことで私たちが得るものもあるでしょう。

 

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