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【投稿】枚方 布団太鼓巡行 担ぎ歌について

プロジェクトメンバーでもある、moumouさんより、江戸時代から残る、枚方市駅前の意賀美神社のふとん太鼓。その担ぎ歌についてのご投稿をいただきました!

どうぞ、ご覧下さい!

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〇布団太鼓について

江戸時代(西暦1700年前後の元禄時代)頃より、枚方宿町衆の財力と気概をもって地元の氏神さんに「ふとん太鼓」の巡行を奉納することで宿場町の発展や安全を祈願し、また、農作物の豊作に対し感謝を込めて宿場内を盛大に練り歩いたこの様に、毎年秋に開催している伝統ある祭りは、歴史文化・民俗に拘る枚方市の誇れる有形文化遺産である。従って、次世代に向けても絶やすことのないよう継承していくものであります。 (枚方フェスティバル協議会HPより抜粋)

布団太鼓とは茵(しとね)や座布団を模したものを数段重ねて屋根とした「布団屋根」を枠式太鼓台の上段に載せたもので、木綿の栽培が盛んだった河内地方から泉南、淡路、四国などに伝搬したとされている。(創元社出版 森田玲 著「日本の祭りと神賑」【太鼓台】の項より抜粋)

〇担ぎ歌について

各町で歌われる担ぎ歌については調子などで多少の違いは見られるが、歌詞は概ね以下の通り。

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「弁慶は(※弁慶が、とする町もある)
東(あずま)のお国のその寺で
七つ道具を背(せな)に負い
五条の御橋の真ん中で
エーラ エーラ エラサッサ
牡丹に唐獅子 竹に虎
虎追うて走るは 和藤内
わとうないお方に 知恵貸そか
知恵の中山 誓願寺(※清閑寺とする町もある)
誓願寺の和尚さん 坊(ぼん)さんで
坊さん蛸食て 反吐ついて
その手でお釈迦の顔撫でて
お釈迦も呆れて 飛んで出た
エーラ エーラ エラサッサ
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同様の歌が貝塚など摂河泉地域の布団太鼓でも数か所で歌われており、堺に生まれた与謝野晶子は住吉祭の様子を書いた【住吉祭】にて「~牡丹に唐獅子竹に虎、虎追ふて走るは和藤内。こんな声も聞こえて来た。」と書いている。(青空文庫【住吉祭】 「精神修養」 1911(明治44)年8月号より )
次項目ではこれら歌詞について考察する。

〇担ぎ歌の内容

  1. 「弁慶は(が) 東のお国のその寺で 七つ道具を背に負い 五条の御橋の真ん中で」

    勧進帳の弁慶

    よく知られている武蔵坊弁慶と義経の出会いの場面。布団太鼓巡行が始まったとされる元禄時代に、今日まで続くロングランとなる歌舞伎「勧進帳」が1702年(元禄15年)に初演されており、当時の爆発的な弁慶人気から歌詞に取り入れられたか。 貝塚他、布団太鼓巡行で類似の囃子唄を歌う地域でも唄の前半部分(Aパート)はご当地ネタが歌われていることが多く、京都に近い枚方ならではか? ただ、「東のお国」が単純に枚方から東(正確には北東)の京都を指すのか関東を指すのかは不明。他の資料において「弁慶は、有馬のお国で育てられ、七つ道具を背に負い~」というよく似た子守歌があり、年月を経るうちに言葉が変わった可能性もある。なお、こちらは兵庫県姫路市の北西にある書寫山圓教寺の事かと思われる。(圓教寺には弁慶ゆかりの史跡も残っており、またハリウッド映画「ラスト・サムライ」のロケ地としても有名)

  2. エーラ エーラ エラサッサ

    堺などでは同じ節で「ベーラベーラベラショッショ」と囃し立てる地域もある。囃し言葉自体の意味は不明。 此花区の澪標住吉大社では同じく「エーラエーラ」という掛け声がかかる。

  3. 牡丹に唐獅子竹に虎

    共に相性が良いとされる組み合わせで、「百獣の王・唐獅子は、体に湧く害虫(「獅子身中の虫」の語源)を唯一恐れるが、牡丹を伝った朝露はその虫を殺す薬効があるとされ、その牡丹の下にいる獅子が最も安堵している」とされる。また、「虎が唯一恐れるのは巨体を持つ象だが、竹林には象牙が引っかかって折れてしまうため入れない。そのため、竹林にいる虎が最も安堵している」とされる。
    この故事から仏教の世界では 「あなたの心のよりどころは、なんですか。 あなたが安心して身を寄せられる安住の地は、どこに在りますか。」という問い掛けを持つとされ、転じて人々の生活の安寧を願った意匠である。掛軸や欄間飾りによくみられるのはこのためである。(あるいはこの言葉自体に生活の安寧を願う祝詞のような趣があったのかもしれない。
    余談ではあるが獅子は文殊菩薩(知恵を司る仏様)が乗る動物ともされており、そこからも後に続く歌(~知恵かそか)に掛けているのかもしれない。
    あるいは

  4. 虎追うて走るは和藤内

    鄭成功を描いた和藤内

    虎退治で有名な和藤内を指した一文。

    同じく虎退治の逸話がある加藤清正と混合される事があるが誤りである。和藤内とは近松門左衛門作の人形浄瑠璃「国性爺合戦」の題材となった鄭成功(ていせいこう、チェン・チェンコン)のことで、明(中国)人の父と日本人の母を持つ事から、「和人でも唐人でもない」「和(日本)にも唐(中国)にも滅多に居ない傑物」として【和籐内】の名が付いたとされる。台湾では民族的英雄の一人。なお、この「国性爺合戦」の初演は1715年とされており、弁慶と合わせ当時庶民の間で広く知られた英雄譚の主人公であったと考えられる。→Wikipedia「鄭成功」

  5. 和藤内(わとうない)お方に知恵貸そか

    諸説あり定かではないが、同様の担ぎ歌が歌われている他の地域の話を参考にすると
    ①優れた人物に私が知恵を貸そうか?という「釈迦に説法」的な意味。( 貝塚宮・感田神社)
    ②「まとうない」であるとし、現代でいうと「全うしない=本分を果たさない」の意味(泉佐野・春日神社)
    ③「後無いお方」とする説。一地区の解釈で後世の語呂合わせの可能性が強い。
    以上が諸説であるが(私見としては)後に続く歌詞との整合性から見て②、もしくは①を暗に含んだ②の意味と考えたい。

  6. 知恵の中山誓願寺(清閑寺) 誓願寺(清閑寺)の和尚さん 坊さんで

    誓願寺は京都市中京区新京極通にある寺院。浄土宗西山深草派の総本山である。 山号は無いが能の曲目に挙がるなど芸事の成就を祈願する寺として知られる。創建667年の由緒ある寺である。なお、枚方市伊加賀にも誓願寺が存在するが、こちらは浄土真宗本願寺派であり、関係は不明だ。清閑寺 は京都市東山区にある真言宗智山派の寺院。山号は歌中山(うたのなかやま)であり、歌詞の「知恵の中山」と遠からず類似している。 天皇陵があり創建は802年とこちらも由緒ある寺である。

    では果たしてどちらを指すかという話になるが、枚方京街道周辺には浄土宗・浄土真宗の寺が多く、そこに真言宗の寺の名前が出てくることには、(私見ながら)やや違和感を感じるところではある。 しかしこの歌詞は貝塚・泉佐野などの他地域の布団太鼓でも歌われているため、地域的な繋がりはあまり関係がなかったのかもしれない。
    余談だが誓願寺のご本尊は阿弥陀如来、清閑寺のご本尊は千手観音菩薩であり、ともに「呆れて飛んで出た」とされる釈迦如来ではない。(すでに飛んで出た後であればわからないが。)

  7. 坊さん蛸食って反吐ついて その手でお釈迦の顔撫でて お釈迦も呆れて飛んで出た

散々な言いっぷりであるが、この当時は幕府の制令により檀家制度が確立した頃で、安定した収入源となり酒や女に現を抜かす僧も多く、宿場町である枚方でもその姿は目に余るものだったか。

~Wikipedia【檀家制度】より以下抜粋~
「1700年頃には寺院側も檀家に対してその責務を説くようになり、もし檀家がこれら責務を拒否すれば、寺は寺請を行うことを拒否し、檀家は社会的地位を失う。遠方に移住するというような場合を除いて、別の寺院の檀家になるということもできなかった。よって寺と檀家には圧倒的な力関係が生じることとなる。これらは、寺院の安定的な経営を可能にしたが、逆に信仰・修行よりも寺門経営に勤しむようになり、僧侶の乱行や僧階を金銭で売買するということにも繋がっていった。」(以上抜粋)

【生臭坊主】という言葉もこの頃に生まれており、「(戒律を破って)タコを食い、(金と欲に)穢れた手で仏の顔に泥を塗る姿」を、河内弁の荒い口調で、暗に風刺したものだったと思われる。(私見)

〇まとめ

以上は各地に残る布団太鼓に関する資料や文献、当時の歴史的背景から推測したものです。極力私見は排したつもりですが、もし違う解釈やご意見、資料があればぜひ教えていただきたく思います。
弁慶や和藤内といった庶民にとってのスーパーヒーローを称えつつ、後半では対比として当時の社会問題を痛烈に風刺した歌であることが見えてきました。それらを匂わせつつも明言しない、言葉遣いの妙が至る所に散りばめられています。
私自身、幼少期から唄い継いで来た囃子歌にどんな意味があるのかと日頃不思議に思っていましたが、次へと唄い継ぐであろう長男の誕生を機に一度本格的に調べたくなり、これらを書き残したところです。 地域の小さな祭りではありますが、この地域に生まれ住む者にとっては小さなころから慣れ親しんだ歌でもあります。 良く観光で来られた方に「どういう意味があるのですか?」と聞かれますが、今までははっきりと答えることが出来ませんでした。 もし同じような場面があったとき、この記事の内容が少しでも何かの役に立てばと思います。

〇おまけ

超訳:現代版 お囃子歌(あくまで山口の主観です)
「弁慶のストーリーは全部言わなくても知ってんだろ?忠義を尽くしたすげえ人だよな。」
「じゃああんたらの心の拠り所ってのはなんだ?そしてそれはどこにあるんだい?」
「人の拠り所になって戦った勇敢な人だっていたんだ」
「本来そんな人であるはずのあんたに恐れ多いが一つ忠告するぜ」
「そこは拠り所だったはずなんだ。そこのボスはマジ尊敬できる人だった。」
「でも今じゃ金と遊びに溺れて、自分の拠り所ですら見失ってやがる。」
「そんな奴はそのうち誰からも見放されるぜ?わかってんのかい?」

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