交野ヶ原 日本遺産 BLOG

【保存版】高度経済成長期以降の交野ヶ原(枚方・交野)の七夕年表まとめてみた(2021年7月6日更新)

皆様、久方ぶりの登場、お許しくださいませ。

何せ、個人的に今年に入ってから、色々とドタバタしておりまして、不思議と7月に入り、落ち着いてはいませんが、ペースがつかめてまいりました。

さて、皆様ご存じのように、7月1日~7月7日まで、「天の川で愛を叫ぶ」を昨年に引き続き、開催しております。77通の心のこもったメッセージ、大変ありがとうございました。

7日の20時からは劇団HALLJACKさんがメッセージを読み上げる番組がFM779でございます。

ネットラジオはこちらからどうぞ。

今回のブログテーマは、交野ヶ原物語10号で紙面の関係上載せることのできなかった企画。

枚方・交野つまり、交野ヶ原の七夕について時系列まとめました

でございます。といっても、1980年代~の時系列です。つまり、高度経済成長期以降のまちづくりの中で、七夕がどのような役割を担っていったのかをその足跡を辿りながら、推測と考察も含む記事でございます。

それでは年代別に追っていきましょう。

1970年代~80年代(BGMは「フラッシュバック、夏。」)

(主な出来事)

1979年 機物神社七夕まつり(1979~)
1983年 佐々木宮司が初めて星田妙見宮を訪れる
1989年 百済寺跡にて、「百済寺幻想」上演 平林さんに電撃が走る
    宮之阪中央商店街『七夕まつり』開催(~2018)

参考url

交野ヶ原七夕ルネッサンス〜序論〜

七夕ルネッサンス〜破の段〜

 

(コメント・考察)

「先の戦争」後の交野ヶ原の七夕の足取りを調べてみると、機物神社の七夕まつりが1979年から「復活」したことから、流れは始まっているようです。

当時の中村宮司は「神のお告げで、願い短冊を結んだ笹飾りが境内いっぱいに埋まった夢を見たので、そんなかたちの七夕まつりを復活させた」と語っていたそうです。

これ、結構重要なエピソードで、地域活性化の現代的な手法としては、ワークショップしたりとかして、テーマを総意で決めるのですが、機物神社の七夕まつりに関して、そのスタートの大きい部分は中村宮司の文字通り「夢」だったということです。

その4年後の1983年には、現在の星田神社宮司を務める、佐々木宮司が初めて、妙見山に訪れて、「ここを整備しないといけない」という志を立てておられます。

また、機物神社の復活から10年後、宮之阪商店街で七夕まつりがはじまります。これは、関係者の方にアクセスできそうなので、聞き取り調査追加必要ですね。

なぜなら、同年の9月9日は、宮之阪商店街の坂の上、百済寺跡にて、「百済寺幻想」というミュージカルが開催されています。その企画の中心となった、平林和典さんは、公演の最中に、電撃が走り「天の川の七夕伝説を伝えねば」という使命にかられ、翌年の「天の川七夕星まつりの会」創設につながっていったようです。

この時期の地域活性化というと、市町村に一律1億円が配られたふるさと創生事業がありましたが、枚方市は、『鋳物師のアニメ』の制作費に全部充てるという、東京から預かったお金を東京の企業に還元するようなことをやっていました。交野市は何に使ったのか、追加調査必要ですね。

交野ヶ原の戦後の七夕は、地域活性化という目線で見ると、同時代的には「売れ線」のテーマではなかったと言えそうです。確かに、目に見えてわかる名産や史跡・伝統行事があるわけでもなく、横のつながり(東海道なら53次とか)も作りにくい。

しかし、そういったゲリラ的な出自が90年代に入ると時代とマッチする部分も出てきた感があります。

1990年代(BGMはZOO「CHOCHOTRAIN」)

(年表)

1990年 天の川七夕星まつりの会 発足
1991年 第2回 ミュージックサロン 天の川讃歌
    本パンフレットの挨拶において「七夕発祥の地」という文言あり

1992年 星の里いわふね開設
1996年 佐々木宮司・神職試験に合格し、星田妙見宮の宮司に就任
1997年 星田妙見宮 三大星祭再興(七夕祭・星降祭・星祭) 

同年  星のブランコ作られる

(コメント)

平成がスタートした90年代は、細かい論評を除くと、「境界が失われていく時代」だったといえます。

その90年代初頭に生まれたのが、「天の川七夕星まつりの会」でした。平林和典氏が初代会長を務めてられ、毎年イベントなども精力的に開催されていたようです。

1991年の同会主催の「第2回 ミュージックサロン 天の川讃歌」というイベントのパンフレットにおいて、会長挨拶文の中に、「七夕発祥の地」という言葉が出てきています。

今ならば、「その発祥となる根拠は何なのか?」とかファクトチェックとかで突っ込まれそうですが、80年代のキラキラしたキャッチコピーがもてはやされる時代の余韻もあり、スルーされたのでしょう。当時(といっても私は幼稚園の年少さんでしたが)はバブル崩壊の前夜ということもあり、その言葉によって起こるトラブルに関わるぐらいなら、他にビジネスがいくらでもあったのでしょう。

ちなみに、1991年のベストセラーは宮沢りえの写真集『サンタフェ』、2位はさくらももこの『もものかんづめ』、3位はシドニィシェルダンの『血族』。ビジネス部門では大前研一の『世界の見方・考え方』がトップでした。

ネットも未発達な時代、京阪神地域の2市町村が「七夕発祥の地と勝手に言い出した」ということについて反駁を加える人も場所もなかったのでしょう。

一方で、交野や枚方での定着度合いは徐々に進んでいったと思われます。92年には「星の里いわふね」、97年には「星のブランコ」と施設に「星」を掲げたものが交野では増え、枚方も天津橋やかささぎ橋の整備などはこの時期だと思われます。要追加調査ですね。

さらに、1996年に佐々木宮司が神職となられ、1997年には三大星祭が復活いたしました。私はこの辺りに高槻から引っ越してまいりましたが、枚方市駅前で、ふれあい通りを封鎖して、七夕のイベントが開催されていたことを覚えています。

加えて、1995年は阪神淡路大震災が起こり、ボランティア元年といわれた年で、大阪のみならず、奉仕活動というものに注目が集まり、その流れと、この七夕関連の市民活動的な動きも一致したのではないかと、ここでは推測にとどめておきます。

90年代は「境界が失われていった時代」と初めに挙げましたが、交野・枚方において、「星」や「七夕」というキーワードが境界を越えて伝搬していったともいえますし、もう少し深い語りもできそうですが、とりあえず、この辺で。

00年代(BGM東京事変「群青日和」)

(主な年表)

2000年 『交野ヶ原と七夕伝説』発刊
2003年 交野線直通のK特急「おりひめ」と準急「ひこぼし」が運転開始
2004年 京阪電車「七夕ステーション」開始(~2018)
    星のまち観光協会発足(七夕サミットに向けて)
    天の川七夕フェスタ開催(~2008)
2005年 天の川七夕まつり開催(2005~)
    ゆるキャラ「おりひめちゃん」「星のあまん」誕生
2006年 逢合橋七夕まつり開始
2007年 第10回全国七夕サミット(交野市・枚方市共催)
    観音山公園にて牽牛像
    宮之阪商店街が「恋人の聖地」認定(~2016?)
    宮之阪七夕まつりで「七夕灯路」開始

    (学生ネットワークかささぎ事業 ~2014?)
2009年 「天の川七夕フェスタ」が「枚方まつり」に変更

     開催時期も8月末へ移動

(コメント)

2000年代の交野ヶ原の七夕を見るときに、どうしても、ピークが2007年なのだと思えてしまいます。この年、全国七夕サミットは第10回とされていますが、この後、2011年7月の前橋での開催を最後に足取りが確認されていません。仙台が東北大震災の被害にあった影響もあるのかもしれませんが。。。

同時に、七夕直接関係ありませんが、ひらかたパークの秋の名物菊人形も2005年をもって終了。一方で2007年からは五六市が始まり、七夕サミットと五六市の開始が同年というのは、意味があるように思ってしまいます。

とはいえ、今日にもつながっていく動きも生まれていった時期です。ゆるキャラ「おりひめちゃん」の誕生。実はひこぼしくんの7年ほど先輩。交野側の七夕まつり開始。京阪もプレイヤーに含めた七夕企画の立ち上げ。

また、七夕灯路を立ち上げた学生ネットワークのかささぎさん、実はこの団体の出身者で、今でも枚方界隈で活躍している人多いんですよ。もし、記事を見た方でかささぎ出身の方はコメントください。

ただ、2009年には、枚方側の実質市民祭りの名前が、「天の川七夕フェスタ」から「枚方まつり」に名称変更されるなど、やはり、栄華の頂点は2007年だったのかと推測できます。

10年代(BGMはakb48「恋するフォーチュンクッキー」)

(主な年表)

2010年「全国同時七夕講演会inひらかた」開催
2011年 枚方市のワーキンググループ「地域ブランディング班」が

    七夕を地域資源としてさらに活かすよう提言
    7月7日に京阪枚方市駅前を中心にまちコン「ひらコン」開催
2012年 枚方市の産業振興キャラクター「ひこぼしくん」 誕生
    京阪電車の「七夕ステーション」が2007年ぶりに

    枚方市・交野市が名を連ねる
    香陽七夕けんぎゅうまつり開始(2012~)
2013年 天の川七夕ゆめのほしプロジェクト開始(2013~)
    京阪枚方市駅前に「七夕伝説発祥の地」と書かれた

    ひこぼしくん看板登場
    スターダスト河内・星田妙見宮奉賛歌「千年の杜」初披露
2014年 交野市「天の川七夕の出会い~婚活~」開催
2015年 日本遺産プロジェクトの前身となる、

    星田妙見宮1200年プロジェクト発足
    星田妙見宮 創建1200年 前年祭開催
2016年 天の川・交野ヶ原日本遺産プロジェクト発足
    大阪府枚方市・交野市において七夕伝説が

    「ふるさと名物応援宣言」の対象となる。
    天の川ツーリズム発足。キキ・ララトレインが京阪交野線を走る
    交野ヶ原フェスタ開催(キキララトレインお披露目と同日9
    星田妙見宮 創建1200年祭 挙行
2017年 ふるさと名物第一弾「彦星の山・織姫の里」発売
    神宮寺ぶとうスイーツプロデュース(日本遺産)
2018年 交野ヶ原フェスタ321~春爛漫夢をかなえよう~開催
    ふるさと名物第2弾 天野川セイタカヨシパウダー登場
 (旧暦七夕)京阪枚方市駅高架下にて、「たなばたルネッサンス」開催
    大阪北部地震や台風の影響で七夕関連のイベントが軒並み中止
2019年 第1回 星の俳句コンテスト開催

(コメント)

2010年代は東日本大震災以降の地方創生の流れやご当地キャラや婚活など、これまで地域活動と無縁だった方もプレイヤーや場合によっては仕切る立場になれるチャンスが広がったこともあってか、様々な動きが生まれてきました。

一方で、宮之阪の七夕まつりが2018年を最後に休止、学生ネットワークかささぎの主催していた七夕灯路は2013年からのゆめのほしプロジェクトへと移行された様子。また、2020年には30年目にして、天の川七夕星まつりの会 観光協会を枚方から交野へ移籍するなど、交野ヶ原で老舗ともいえる七夕関連のイベントや団体にも大きな動きがありました。

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テーマの著者 Anders Norén