ソールドアウト、満員御礼、売切続出。
どれも、おめでたい言葉ばかりですが、何とその言葉を現実にしてしまった公演が今週末、交野ヶ原で行われるのです。
プロジェクトにも参画してくださっている、ひらかた肝高倶楽部(きむたかくらぶ)が演じる、2年ぶりの公演「火怨の蝦夷 阿弖流為(かえんのえみし あてるい)」が京阪枚方公園徒歩5分の枚方公園青少年センター3Fホールにて行われます。
12月2日の夜公演と、3日の昼公演、いずれもソールドアウト。
チケットを手にできた方は、楽しみにしていて下さいね!
樟葉駅前の大阪歯科大学の講堂で行われた公演から早2年。
公式HPよりあらすじを引用します。
今から1200年前、現在の東北地方には「蝦夷(えみし)」呼ばれる人々が暮らしていました。彼らは豊かな自然と共に平和な暮らしを送っていました。
しかし、大量の黄金が産出したことにより、これを我が物にしようとする朝廷軍との間で永い戦いが始まりました。
阿弖流為(アテルイ)は蝦夷を率いて朝廷軍と戦いました。しかしやがて彼は朝廷に降伏し、枚方の地で処刑されます。
「アテルイは何の為に戦い、なぜ降伏したのか。」
アテルイ最期の地と伝えらえる、枚方市在住の小中高生がその物語を演じます!
アテルイ最期の地という伝承を祈念して、京阪牧野駅前、徒歩5分の牧野公園には、伝阿弖流為・母體の塚が鎮座しております。
さて、ここで、交野ヶ原の知っておくと「通」になれる情報を差し上げましょう。
東北で黄金が見つかったのは、奈良時代中期、東大寺の大仏様が建築されている頃です。
最後の仕上げに大仏様に金箔を貼る予定でしたが、まったくもって、黄金が足りません。
聖武天皇(しょうむてんのう)が困っていると、時の東北を治めていた、百済王(くだらのこにきし)敬福(きょうふく)が、今の宮城県あたりで黄金を見つけ、聖武天皇に奉納したと言われています。
これに非常に喜んだ聖武天皇は、百済王敬福に河内の中宮の土地を与えました。それが、今の交野ヶ原にある、百済寺跡だと言われています。
しかし、歴史の皮肉で、その黄金が見つかったことによって、東北の開発は進んでいき、アテルイ・モレの戦いや源平合戦で義経が平泉に逃げていくなど、古代から中世にかけて東北は、黄金が見つかったことによる歴史の荒波へと飲み込まれていきます。
そういった豆知識を持って、今週末の舞台、私も見に行きます。。。
お知らせ
3月3日、京阪枚方市駅前の岡東中央公園にて、交野ヶ原フェスタ開催決定!
テーマは「交野ヶ原のひなまつり!」
続報を待て!