皆様、今年、2020年は何の都市かご存知でしょうか?
そう、東京2020、オリンピックパラリンピックイヤーでございます!
いや、皆さん、大事なことを忘れていますよ。
2020年は日本書紀編纂1300年記念
下記イラストは、奈良県の「なら記紀万葉」のページにあったものを拝借してきました。パッと見て、日本書紀と古事記の何ぞやが分かりやすく描かれていると思います。
「記紀」と並べて書かれるように日本において、「古事記」と「日本書記」はとても特別なものです。
交野ヶ原だけでなく、日本の色々な古い歴史や物語もこの二つに依拠していることが多いです。そこで、日本書紀を通じて、交野ヶ原の歴史をまた、再評価してみようと思っております。
どちらかと言えば、百済王敬福再考論みたいに、固い記事になるかなと思います。うーむ、どうすれば、軽い記事を書くことができるのかw
まず、一つ目!
① 継体天皇が即位したと樟葉宮
第26代天皇の継体天皇が即位したとされる、樟葉宮。
ちょうど、令和の御代を治める、今上陛下の100代前の天皇にあたります。
この継体天皇は、結構、天皇家の歴史の中でもターニングポイントの方で、応神天皇から5世孫にあたる天皇です。第25代の武烈天皇が、後継ぎを遺さず亡くなってしまったからです。
そこで、福井県からやってきたのが継体天皇です。
樟葉宮は即位された場所で遺跡などが残っているわけではないのですが、交野天神社の裏に、「伝承」として、即位跡が残っています。
② 「渡来人」or「帰化人」の言葉の定義
「渡来人」というと教科書にも出てきますが、3世紀~6世紀頃に日本に大陸から渡ってきた人々のことを総称した言葉です。
と思ってたのですが、実は、元々は、「帰化人」と言われていたみたいで、戦後になって、色々あって、「渡来人」という呼び方が教科書的に使われるようになったと。
で、ここの二つの分水嶺が、「帰化人」は日本書紀で使われていて、「渡来人」は古事記で使われていたんだとか。まだ、少ししか調べきれてないんですが、ども、そこは学術的事実というよりも、現代の政治的姿勢で選ぶ言葉が変わっているようにも感じられるわけです。
もう、既に、1500年は経過しようという事実に対する言葉の選び方が現在の政治的態度によって変わってくる。何ともややこしい話です。
ちなみに、面白い地図を見つけました。
(下記サイトより引用)
地図は、渡来人(帰化人)が来ていた頃の河内地方の地図です。右上の方に「樟葉宮」と掲載されています。こう見ると、物流の拠点で、攻めづらく、守りやすい土地のようにも見えますね。
③ 神武東征と磐船神社
磐船神社のことは以前も記事にしました。
物部氏の祖神であるため、物部氏も天神の系列だったとも言えなくもないわけです。このストーリーも、古事記・日本書紀のどちらにも掲載されており、交野ヶ原と日本書紀をリンクさせるにあたって重要な場所であります。
もしかすると、物部氏は守屋が敗北するまで、天皇家に対抗できるほどの正当性と実力を持っていたのでなかろうか???
と勘ぐってしまいたくなります。
上記3つ、今年のブログの「難しい話」パートとして、タイミング見て取り上げてみようかなぁと思っております!