すっごく、個人的な話なのですが、下鴨神社ともゆかりの深い作品「四畳半神話大系」が今年でアニメ化10周年といことなのです。
上記の画像も、下鴨神社の糺の森界隈に出没する猫ラーメンです。
いやもうね、このブログ、ほぼ一人でやっているのですが、「四畳半神話大系」のように、全ての物語が一つの流れへ終息していくような感じを受けることがあるんですよね。
というのも、今回、前段で、「瀬織津姫」のことをブログで書きました。
ここ2年ぐらい、「瀬織津姫はどこにいるんだろうか。」と明石さんを求める如く、色々と考えていしたところ、昨年の夏に、下記の日経新聞を見つけました。
上記記事の中で、下鴨神社の宮司がこう語っています。
「自然の力で新しく生まれた土地は、清浄な場所として神社は大事にするんです。州の先端には中世まで唐崎社が祭られ、その一帯を糺河原と称していました」
なるほど元々、ここにお社があったのか。しかし、元京大生として証言すれば、そんなお社、どこにもなかった。
もう少し掘り下げて調べると、下鴨神社の宮司のブログに下記のような表記がありました。
唐崎社もまた、被害をうけ社殿等すべてが焼亡してしまいました。以降は、御手洗の池の解除社・井上社とは、御祭神が瀬織津姫命という同神であったところから合祭になりました。当初、唐崎社は、神舘御所の官祭の神として祀られていましたので官祭の解除を。氏神の祭の解除と分けて神事がおこなわれていましたが、元禄七年(一六九四)四月十八日、賀茂祭(葵祭)、御生神事(御蔭祭)の行粧再興により、夏越しの神事など氏神の祭であっても同様に今日まで井上社にて解除の神事をおこなっています。
この唐崎社が、糺河原に祀られたお社で、応仁の乱の被害で、焼失したとのこと。
そして、井上社で祀っていた瀬織津姫が同神だったので、一つの社で祀るようになったということでした。
この井上社が、いわゆる御手洗社です。
本殿横におわします御手洗川と瀬織津姫
水に恵まれた日本の、水の流れとともに汚れを海まで流してくださる瀬織津姫様。昨今の騒動から、日本を守ってくださっている御礼とこれからも日本を守っていただけるようにと思い、微力ながらお参りに行ってまいりました。
この日は境内で結婚式も行われて、何とも言えない、すがすがしい空気に満たされていました。この場所から湧き出た清き水が、淀川を通り、大阪湾から世界へ流れ出ていると思うと、途方もなく壮大なスケールの神様に思えてきます。
看板にも書いておりますが、みたらし団子の発祥はこのみたらし川ということで、どこか近くにみたらし団子売ってないか探したのですが、見当たりませんでした。
この下鴨神社のことだけでも、ブログ一つ行きそうですが、驚いたのは、この下鴨神社の祖神が枚方にも鎮座しているということです。
淀川左岸・走谷の加茂健豆美命神社(加茂神社)
淀川左岸、交野ヶ原から少し下ったところの走谷にその神社はございます。名前は加茂健豆美命神社、通称、加茂神社。
社殿に依れば、桓武天皇が遷都した時、摂津大夫に任命され、淀川の治水や長岡京への物資搬送のために、尽力した、和気清麻呂が天皇の命を受けて、この場所に河内の一宮として築いたとのこと。
うん?
和気清麻呂?
確かどこかで。。。。そうだ!
宇佐八幡でのご神託を取りに行った人じゃん。「道鏡を天皇にするな」っていう神託。さらに言えば、桓武天皇の母方の血筋を再編した人。
そう考えると、和気清麻呂が祀った、加茂神社が淀川治水のための物だったとしたら、天智系に戻った桓武天皇は淀川水系の支配者として、大和を離れても存在感を示そうとしていたということかもしれません。
その点はまた、段を譲るとしましょう。
加茂神社内におわす瀬織津姫(御手洗大明神)
本殿向かって左側に、瀬織津姫が祀られている御手洗大明神という祠がございます。
下鴨神社は、太古から、同じ場所に鎮座していると考えられ、桓武天皇も平安遷都の際、第一に下鴨神社に参ったと言われています。
加茂神社は、下鴨神社からの分御霊であるとされております。この御手洗大明神も御祭神が瀬織津姫ですので、間違いなくこの下鴨神社の御手洗社に所以する神様でありましょう。
その他にも、淀川沿いには瀬織津姫がいらっしゃいますが、それはまた、後日、紹介いたしましょう。
場所はこちらになります。